お話その50<ヒーリング>

 
好きな事を仕事にしよう。
 大好きな事を仕事にすれば、幸せな小金持ちになれるんだよ。
 
 それは、私もよーく分かってきています。

 さて、私の場合。
 大好きな事の中に、ヒーリングが入っているのだろうか…と考えていました。

 私がヒーリングというものに興味を持ち始めたのは、小・中年生の頃だったと思います。
 当時自営業の我が家が経済的なトラブルを抱え始めていたようでした。
 子供の私には殆ど何も説明してくれません。家の雰囲気としては、私が次女で姉と年が離れているという事もあって、未だに相談をされない傾向があります。いくつになっても私は下の娘というイメージがあるのでしょう。
 でも、何となく何が起こっているかは子供ながらに感じ取ります。
 常に不安でした。
 その頃に、金銭的なマイナスイメージを受けた事は明らかです。
 その辺りの解除についても本田健さんのメソッドで学び、解放してきました。

 ちょうどトラブルが始まった頃から、父親の体調が崩れ始めました。
 今思えば、精神面が体に影響を与えるという顕著な例を見せられたのだと思います。

 私が小学生だったある時、我が家が所有していたマンションの4Fと5Fに住んでいた方々が一同に集まりました。

 和室に集まって何を話しているのか、内容までは分かりませんが、雰囲気で良くない気というのは感じました。
 皆が帰っていったあと、1人で父親はポツンと和室からベランダに足を降ろして咳き込んでいました。
 タバコが苦手なのもあったのでしょうが、痰もからんで苦しそうな咳だったのです。
 私はヒーリングという言葉は知っていました。手からエネルギーが出て人を助けられるのだと聞いていました。
 やり方が分からないので、父親の背中に手を当てて、「治れ、治れ」と思っていました。

 しばらくしても咳は続いていました。
 ヒーリングとは愛を送ることだということがその時はわかりませんでした。
 だから、一生懸命「治れ、治れ。」と気持ちを送っていました。

 父は一言
 「手を離してくれ。」
と言って、笑いもしないで(まあ、苦しかったんでしょうが)別の部屋(トイレだったかもしれません)へ行ってしまいました。
 そして私が感じた事。私には何も出来ない、という感情。
 治してあげられないという感情。そして、とても哀しかったのです。

 今思うと、あの哀しみは、父親の体から出たものでもあったのかもしれません。
 娘がしようとしていることを受け止める余裕も無いほど落胆した様子でした。
 鮮明に思い出せます。
 果たして、私の手からはエネルギーが出ていなかったのでしょうか?
 
 初めの私のヒーリングをしたいという感情は、とても純粋なものだったと思います。
 そのとき、手ごたえは感じませんでしたが、余計何とかしてできるようになりたいと後々思いました。

 今は、私の手からエネルギーが出ていないことはありません。(という事を知っています。)
 ヒーリングは一方的ではなく双方の交流が大切です。ヒーリングを依頼するということは、受ける側もそれを受け入れる準備が出来ているということになりますね。
 また、依頼もなく相手の意思も考えずヒーリングエネルギーを送ることについては色々な考え方がありますが、相手をコントロールするのでなければ守護天使がふるいにかけますので、愛のこもったパワーを誰かに送ってあげるという事においては良いのではないかと思います。治る治らないは本人の問題ですから。
 受け取ろうと本人がしなければエネルギーを受け取る事も、ヒーラーが実際に流す事も難しいかもしれません。

 私の父親はハートを閉じていたのだと思います。
 あの時は特にそうだったのだと思います。小学生の私には少し荷が重すぎました。

 気持ちの面で言えば、あの頃の純粋さを今も持っているのかどうかは自分でも分かりません。
 私はエネルギーを流していると、相手も自分も気持ちがいい事を知っています。
 
 気持ちが良いということは、楽しくなります。
 楽しいと元気になります。そして体も健康になることでしょう。

 何かを治すという気持ちではなく、楽しいという気持ちが大切なのだろうと最近少しずつ分かってきました。
 私の過去世の記憶で色々な療法を学んでいたようなので、何をやっても独自の方法になっていきます。もちろん基本は基本として真面目に勉強しているつもりなんですけど。
 誰かの方法を否定しているのでは無くて、勝手に思い出したり、(あ、こうしよう)とイメージがやってきます。

 これから、ヒーリングを人に施していく場合の為の自分の想いがあります。
 そして、自己ヒーリングの大切さを伝える為に、手軽に体験する方法を組み立てたいとも思います。

 これも私の1つの学びです。私が気持ちが楽になる方法が誰にでも当てはまるのかは分かりません。
 でも、誰か必要な人がいるのならば、私はきっと何かをするでしょう。

 最近あまり深く悩まなくなりました。
 目の前にある、「できる事からしていく」ことだけが私の今を生きる方法。

 ワクワクしていますか?楽しく感じられますか?心から笑っていられますか?

 ネガティブエネルギーを飛ばしてしまうと、本当に楽になります。
 ネガティブエネルギーを貯めないでいられるように。
 
 反面教師を知っていますが、一番私が学びになったのは、脅迫観念をコントロールして相手を不安にさせたり脅したりする方法。そういう場面を見たからこそ、自分はなるものかと思えるので、何事も経験です。
 どこで何を受けるのか、これは自分が引き寄せることですね。
 世の中失敗はないといいますが、それは失敗が大切な経験になると知る事で初めて言えるのかもしれません。

 私はとても沢山失敗しています。(爆)
 だって、本当にそうなんです。
 それでも、そうなりたくない見本も見て、憧れの人もちゃんとメンターとしています。

 人にどう思われるのか気にしてばかりでは、先に進めないのです。
 誰もが実は一生懸命なのだろうと思います。

 そのとき、どういう人を自分の周りに引き寄せたいのか、実現化させるのはどうしたらいいのか。
 以前は憎んだり恨んだりした人にさえ、最近「あ〜あ。」という気持ちが浮かびます。
 感謝の気持ちにまでするのはもう少し先っていう場合もあります。
 心の底に溜め込んでいるものを手離すには、1つだけの方法ではないのですが、手っ取り早く自分にあった方法を見つけるには願う事が大切だと思います。

 と、いうことで、私はヒーリングが好きなのでしょうか?
 学びに行った先で、既に知っているようだ、と言われました。そうなんだ?でも相手にちゃんと伝わっているという確認が欲しかったのかな、私。
 でもこの機会に、父親に与えたくて受け取って貰えなかったエネルギーを、まだ気にしていた自分を思い出したのです。

 自分で自分に許可を与える為に、こういう機会を頂いたのでしょう。
 ヒーリングとは、人に楽しい心を伝えていくことだと今は思っています。
 自分が楽しんでいなければ、出来ませんよね。はい。そうです。

 私は自分に許可を与える事にしました。かいきーん。
 柵(しがらみ)を外したり、自分を許すっていうのは、あっという間に出来るんですよ!
 混乱している方は、そのうち、私のヒーリングを受けてみてくださいね。(いつやねんって。)あは。
 私の場合、まずは目の前の制作活動と家族のコミュニケーションですわ。

     by Yumiko 10th Dec. 2004

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お話49<龍の話>

 たまには、リクエストにお応えして(?)龍について書いてみますね。

 龍が気になるという方は多いようです。
 龍に惹かれる人もいれば、苦手な人もいるでしょう。

 龍とヘビは似ています。でもヘビは嫌いだけど龍は好きという方もいらっしゃるかもしれませんね。
 役割が違うのでしょう。
 どちらかというと、ヘビは性エネルギーを象徴する事があります。
 性エネルギーとは、つまり生エネルギー・生命力です。性に対する認識はかなり歪められて来た為に消化しきれない人も多いかもしれません。
 男性性と女性性の融合・バランスがとても大切だと聞いた事はあるでしょうか。
 クンダリーニエネルギーも純粋に生命力を表していると思います。
 男性パワーと女性パワーが愛を持って力を得る時、本来のパワーがみなぎるのですが、その神に近づくエネルギーを恐れた為にご法度や宗教的に禁止したりしてきたのでしょうね。

 この話は奥が深くて、ほぼ全員の体の中に滞っているトラウマのようなものかもしれません。
 本当に解放する日が来るといいですが、誰もが恐怖心も持っているのです。
 エゴの発生しやすい所でもあるかもしれません。

 エネルギー体。龍を一言で言えば、そう表せるかと思います。
 神の遣い、私はそう思ってきました。
 神の遣いであれば、天使達もそうですね。
 何が違うのかな、と思いながら、多分西洋と東洋の違いだろう位に思っていました。

 龍とお話してみた方はいらっしゃいますか(変な質問です?)?

 私の側にいる龍は無口です。
 と言うか、とても冷静沈着でクールという感じです。
 顔も、ま、ごっついですし。
 私が混乱している時には、落ち着き払って助けてくれる事があります。
 ただ、私が龍の存在を忘れていると、ホントに何もしてはくれません。落ち着き払って見ているだけです。
 
 龍は絶対に依存させません。そういう人の所には留まらないようです。
 頼めば何でも聞いてくれるようなものは龍ではないかもしれません。
 
 何故だと思いますか?
 龍によると、ですね、龍は人間の為に存在しているのではないそうなんです。
 龍も神の遣いですが、地球の使いなんだそうです。
 様々なレベル(天使と同様の)もあって、龍はエネルギーラインを守っているのだそうです。
 
 地球の地脈の流れと言えば分かるでしょうか。
 地球も命です。そのエネルギーの流れ、大気の流れをすべて把握しているようです。
 地球上のヴォルテックスと呼ばれるパワースポットには、龍穴が存在していて、龍の通り道になっていると。

 中国の風水や気学、日本でも様々な古い教えには、気の道を読んだ学びがあります。
 すべてエネルギーの取り入れ方で、パワーを上手く使おうとしていたのです。

 龍たちは、地球を守っています。
 そして地球の遣いとして天にも昇ります。

 私の側にいる龍が珍しく教えてくれてました。

 「龍が側にいるということは、その人が地球への奉仕を決めたということだ。
 その信念がある人のところへ私達は遣わされる。
 他の道を選んだのなら、他の遣いが行くのであろう。
 あくまでも選ぶのは人であり、私達は何もしない。
 私達が望んでいるのは、地球という生命を育むこと、それだけだ。
 私達は、人に特別な力を与えることなどしない。
 奉仕の仕事をまっとうする為に、望めば手を貸すだけである。
 人は自分の位置を知らなければならない。
 最高の生き方をするためには、本来の力を宿し愛を持ってエネルギーを使う必要がある。
 特別なパワーを持った気がしたら、それはすべてエゴであり、私達はその元を去るだろう。」
 
 龍は厳しいです。私にとっては理想の父親みたいな…。これも私の固定観念かもしれませんね。
 龍は、他からのネガティブエネルギーをひねり返してくれる事もあります。
 でも、自分が呼び寄せたものは、黙認しています。
 龍が側にいるからって、何の努力もしなくて良いのではありません。
 天使だって誰の側にもいるのですから同じことですね。

 ここまでで、龍のすべてを書いたわけでも何でもありませんが…。
 私は龍が好きです。
 冷静沈着で、ドジな私を見守ってくれている力強い存在。
 龍と一緒に地球への奉仕を決めた方は(特別な事ではないと思いますが…)宣言してみてくださいね。
 奉仕ってなに?なんて頭で考える必要はないですよ。地球を大切にしたいという気持ちでしょうから。
     
   by Yumiko 26th Nov 2004

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お話48<輪廻転生>

 生まれ変わり。
 輪廻転生。

 もし、何度もこの地球に生まれてきたのだとしたら。
 何度も何度も繰り返し肉体を持って生まれてきたのだとしたら。

 いったいどうしてなのでしょう。

 魂の学びの為。
 そして肉体を持って天国(光の国)を体験する為。
 最終的には、すべてが1つであると知るのだともいいます。
 この3次元は究極の分離の世界だと。

 20代前半の頃、ある方のリーディングを受けた時に、私には「アークズル星」という故郷があるのだと言われました。
 え?それはもしかして、地球じゃないってことなんでしょうか?
 これはまた、変な事を聞いてしまった、と思って聞き流していました。

 そして、その星の人たちがいつもあなたを見守っているんだ、とも言われたのです。

 あれから、その星の方たちとはまだ対面するチャンスを頂いてはいません。(そりゃあ…)
 もしかして、と思った1つは「過去世物語」での伊勢での旅の宿から見たUFOらしき物体くらいですか。
 でも、夢の中では逢っていたりするのかもなあ、なんて。

 いやいや、一応そんな風に自分を見守ってくれているのが、天使達ばかりではないのかもしれないと思うと楽しい気もします。だけど、アークズル星なんて☆どこにあるのですか…?
 半信半疑でしたし、そのまま聞き流しておりました。

 プレアデス・オリオン・シリウスなどは時々耳にしていましたが、そんなあるとき「アルクツゥルス」という星の名前を知りました。ずっと忘れていた星の名前が、本当はこれだったんじゃないの?と気付きました。
 何せ確証はないんです。
 プレアデスだって、シリウスだって、自分がいたことあるんだ!って思えば誰が否定できますか!

 過去世についても同じ事。
 ふと懐かしくなる思い、過去世までさかのぼっている事ってあると思うんですよ、気付かないだけで。
 
 私の大切な友人の1人は、プレアデスで私と恋人同士だったんだと言ってました。
 そのときの記憶を私が実際に自分でリーディングして視たことはありません。必要ないのかもしれません。
 相手は今世は女性です。出逢ってからというもの、とっても私を助けてくれました。
 ただ、私と出会うまでプレアデスに置いてきた恋人に罪悪感がいっぱいだったそうなんですけど(そういう記憶があったんだそうです)、一緒に色々勉強しているうちに解消していったようでした。
 変な話ですよね。実際、プレアデスは古い文明の中に名前が残っていたりする地球とは縁が深い星です。
 でも誰が証拠を見せられますか?

 1つ言えるのは、プレアデスで私の恋人たっだという友人は、それまでの苦しい人生(本人弁)をどんどん幸福なものへと変えて行きました。私がしようとしていることを、そのまま受け入れて聞いてくれたり、時には注意してもくれました。
 それはお互い様だったんですが、年齢を超えて、すばらしいパートナーシップだったと思っています。

 その関係は、やっぱりそうそう持てるものではない気がします。

 本当にプレアデスで恋人同士だったのかどうかは定かではありません。
 ただ、彼女の中にあった罪悪感を私と出逢った事でもある程度手放したんだという事実が、彼女の中で大切だったのだと思うんです。
 
 だから、リーディングで過去世を見たり、催眠療法で過去世に遡ったときに見えた色々な体験や思いは、事実かどうかが大切なのではなくて、その時の傷を癒し手放す事でどれだけ今の人生が楽になるか、だと感じています。

 私は今までの経験の中で、癒しを体験し、また人が変わっていく姿も見ることが出来た事が宝物だと思っています。誰だって、すぐにでも自分の人生を方向修正できるはずです、望みさえすれば。
 大切なのは、その事に気付いて受け入れることですね。
 目から鱗の体験をするためには、時には摩訶不思議なスピリチュアルな経験も必要な場合もあるかもしれません。
 否定を肯定に、拒否を受容に。
 
 変わろうと決めるのは、いつでも出来ます。
 輪廻転生の中の柵を手放すのも、きっといつでも出来ます。
 チャンスはいつも手の中ですからね。

  by Yumiko 20th Nov. 2004
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お話47<依頼する>


 人に物事をお願いする時、どんな事に気をつけますか?
 相手の状況、許容量、機嫌など色々ありますが、どうしてもお願いしなければならない時、何に一番気をつけますか?



 どうですか?


 考えて頂けましたか?



 では、実際に頼んだ時に、断られたとしたらどうしますか?
 それでもお願いしなければならないとき。

  甘えた声を出す。何かを条件に差し出す。脅す(笑)。被害者になったように哀しむ。相手を突き放す。


 さて、簡単なあなたのコントロールドラマの傾向チェックコーナーでした。

 どれが、被害者・脅迫者・尋問者・傍観者になりそうなのかは、「スピ想」内の「闘争ドラマ」でご確認下さい。

 え?答えが書いてないって?
 そうなんですけど、必要な人はきっと分かるんだそうです。
 今この文章書き終わるまで、私は何を書こうとしているのか全く分かりませんでした。
 こういうこともあります(^^;)。だってあるんです…。

 これでも真面目なので、ちゃんと考えてみた方は参考にされてください。
 今、必要な人が読んでいるはず…。

 光の存在達が伝えたい事は、もう一度自分のパターンを見直してください、という事だそうです。
 だから、受け取る方にお伝えしております。

 ちなみに天使に依頼するときに悩む必要はありません。
 お願いすれば必ず聞いていますし、本人にとって一番良い方法で助けてくれますから。
 必ずしも本人の望む方法ではない事もありますけれど。信頼あるのみ。
 あ、信じなくても平気ですって。

        by Yumiko 5th Nov. 2004
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お話46<福岡訪問>

福岡の旅日記でございます。
 4ヶ所の神社へ参りました。
 初めは、「櫛田神社」です。
 宿泊先からすぐの場所にあり、家族でふらふらと出かけてみました。


 







入り口はそれ程広くなく、商店街の横から入るようになっていました。
 ちょっと暗くて見づらいですね…。
 入り口では、甘い焼餅を売っていました。
 娘は拝観中、ずっと餅が頭から離れなかったようで帰りにほお張っていました。















 何と!境内の中に
『白龍神社』があったのです。

 詳しくなんて書いてあるかは
読めないですね…。

 白龍さんに手を合わせて参りました。






   
 こちらが正門のようです。
表参道から入る鳥居→



 実はこの櫛田神社は、商売繁盛の神様でもあるようでした。
 そんな事も気にせずホテルに戻った私に、彼が
「Yumikoの所に何かいるぞ」と言うのです。でも悪いものではなくて、ある大きな商家の江戸時代頃の娘さんで、
「この人が好きだから、手助けします。」とか言ってたそうな。
 好きって言われるのは嬉しいけれど、彼も「だってそういうんだもん。」と不思議がっていました。
 じゃあ、お仕事助けて貰う時よろしくね〜と結構適当な私。
 いつも余り深くは考えないのですが、お気持ちだけ受け取りましょう。
 何か必要な事は、伝えておくれねー娘さん。

 それと、行った時が年に一度の盛大な秋祭りだった「筥崎宮(ハコサキグウ)」八幡様です。
 


私の産土は八幡様。


















 娘の大好きな縁日。
 ここは、浅草・浅草寺よりも規模が大きくぶったまげました。






それから大宰府にも足を伸ばしました。暑い日だったんですよ〜。
 でも何故か太宰府は一枚も写真を残していませんでした。有名ですからいいですかね。

 その近くに竈門神社がありました。
 薦められていってみたのですが、バスで山道を登る事10分くらいかな。
 なんとも厳かですがすがしい山の薫がしました(暑いんですけどね…)。
 

 観光地の「大宰府」とはまた違った趣で、人も少なかったです。
 えっちらおっちら、娘と階段を登りました。

 













 そして到着した本堂で見たものは…(入り口にも書いてあったけど気づきませんでしたの)ここは縁結びの神様でした。何で薦められたんだろー??
 でも人との縁結びって事で、基本の基本ですね。
 そうです!

 鳥居からの風景は竈門(かまど)神社から大宰府の街を見下ろした景色が広がっていました。駐車場も有料なのに無人。
 みんなちゃんと払っているのかどうかちょっと心配しながらも…深呼吸して田舎って素敵〜と感じました。
 
 お土産屋も一軒しかないので、余りに暑いためお茶をしようとお邪魔し、アイスコーヒーを頼んだ私。
 しかーし、目にしたのはネスカフェ・アカプルコのペットボトルから氷をいっぱいに入れたグラスへ注ぐ姿。
 しかも、持って来たのはブラックコーヒー。
 今日の気分は甘いのがいい、とガムシロとミルクを所望すると、店員のおばさん少し悩むの図。
 「あのねえ、ガムシロがいいのかね?
 だけど、これ入れるとおいしくなるから。」
 手渡されたのは(マカダミアナッツフレーバーシロップ)。
  入れてみたら、全然美味しくなかったのでした。

 大宰府駅へ戻るバスが次を逃すと45分待ちと気づき、速攻飲み干してバス停へ。
 結局走って再び暑くなる、娘と私でした。

 大宰府駅につくと何だか突然雲行きがあやしい。
 あんなに晴れていたのに…。コーヒーリベンジもしたい私は、駅に降り立った時に既にチェックしていた、オルゴール博物館兼入れたてコーヒー喫茶で雨宿りする事にしました。

 
丁度1時間に一回の生演奏古典オルゴールが行われて、素敵な時間を過ごしました。
 その説明していた店員の男性は、
 「昔から海外では男性のステータスの1つに女性に音楽を聞かせる事がありました。
 だから社交界でも音楽は大切になってきます。
 音楽会に女性を連れて行くことは当然のことだったんです。
 なぜかというと、音楽を聴くことで女性はホルモンバランスが整い、より美しくなっていくと分かっています。女性が美しくあることは、結局は世の為なんですからねー。」
 とても分かりやすく楽しいお話とオルゴールの音色でした。娘はオルゴール大好きなので、夢中でした。


  遠い地の神社探索は、神聖な気に触れる楽しい機会です。
  出かける事が大好きなので、これからも少しずつでも旅を続けたいと思います。
 土地の神さま、招いて下さってありがとうございました。

     by Yumiko 19th Oct. 2004
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お話45<小桜インコのミミ>

 
 私が生まれたときから、姉が飼っていた小鳥がいました。
 初めは姉が欲しがり、十姉妹を飼っていたようです。物心付いた頃から、十姉妹が卵を産み雛が孵り沢山増えていくという姿を見ていました。十姉妹の子育ての上手さは目を見張るものがあります。
 そのうちに、インコを飼うようになっていました。これも多分姉が欲しがったのではないかと思います。
 私はそれに便乗して可愛がっていただけでした。
 初めは籠の中で飼っていただけでしたが、そのうち手乗りのセキセイインコがやってきました。

 知り合いに分けてもらったのです。
 私は両親が自営業をしていて、姉も年が離れていた為、いつも他所(よそ)様のお家に遊びに行っていました。兄は遊んでくれなかったのでしょう。
 インコをくれたご夫婦は、確か、家の内職をしてくれていたお宅だったような覚えがあります。
 私は人見知りをしない子供だったのだろうか…今の自分では考えられないくらい、人の家にお邪魔していた気がします。母に付いて行った先で「帰らないー」と私が言った場合に遊んでくれる時があったのです、多分。

 その位、気さくな下町だったともいえるのでしょうねー、なんだか人事のような記憶の薄さですが…。

 セキセイインコを頂いたお宅は若い夫婦だったのですが、子供の私から見ても、とても仲の良い優しい夫婦でした。
 私をとても可愛がってくれてお菓子を頂きながら、いつもセキセイインコを肩に乗せて貰っていました。
 そこで孵った雛を頂いたのです。

 黄色い鳥は「キーちゃん」、水色の鳥が「ミーちゃん」。単純です。
 その私が飼う初めてのインコたち。本当に懐いてくれました。
 また、本当に賢いのです。キーちゃんは健康優良児で私の言っている事を分かっていました。
 ミーちゃんは、何かのきっかけで足をくじいてしまったのか、片足が変形し、いつもビッコでした。
 それでもキーちゃんとミーちゃんは仲良しで、部屋中を飛び回っては、私の肩や頭に乗っていました。

 その後も、我が家に鳥が居ないときはありませんでした。
 ミーちゃんは早くに死んでしまい、キーちゃんは籠から逃げてしまいました。
 がっかりしていた私の所へ、今度は小桜インコのミミがやって来たのです。私が小学3年生の時でした。
 母親が道を歩いていると、チョコチョコとインコが歩いていたのだそうです。
 キーちゃんが逃げて落ち込んでいる所だったので、必死で捕まえて来たようでした。
 どこかの家から逃げたに違いありませんが、放って置けば死んでしまったでしょう。
 今思うに、あの時まだ雛だったのだと思います。羽も短く、体つきも幾分小さかったのです。

 なぜ、ミミなのか…。うさぎじゃないんだから、と友人に言われた事もありましたが、覚えていません。
 
 この鳥は母親が捕まえてきたのですが、私が飼い主になりました。
 私は、猫っかわいがりすることは余りしない飼い主です(猫ではないが)。放任主義ともいいます。
 そして、動物とは対等に語り合います(ってホントかよー!)。
 ミミは、鳥なんですけど、かなり気が強かったのです。
 捕まえられたせいなのかもしれませんが、母親には決してなつきませんでした。
 一番餌を取り替えてくれたにも関わらず、水を替えようとしても、死ぬ間際まで噛み付きに来たそうです。

 手乗りは噛み付かないものなんですが、ミミに関しては違いました。
 私以外には向かっていきます。多分小桜インコの性質なのかもしれません。
 私は鳥の前で鳴きまねをして、鳥と会話モドキをするのが好きでした。
 そして、ミミは、私には決して噛み付きませんでした。
 私が怖がらないからだったのかもしれませんが、理由は分かりません。
 手を入れると他の家族は皆、悲鳴をあげていました(−−;)。ほんとに噛まれていたんですね…。

 このミミは、私が家を出るとき、実家に残していきました。
 不思議なのですが、途中からこのミミも片足を悪くしました。鳥は片足で棒に捕まって寝たりするのですが、片足には力が余り入らないようで、歩くときもビッコでした。だから早く旅立つのでは…と思っていたのです。

 が、結局驚異的な生命力で私の元に来てから約20年も生きていました。
 私の人生の殆どを見てくれていたのです。
 旅立った少し前には、獣医さんにも見放されました。あの小さい体の肋骨が胸を触ると直ぐに触れるくらいにやせ細ってしまったのです。体重などあるのかないのかという位なのに、ちゃんと立っていました。
 もうダメでしょう、と言われても一年以上生きていました。
 そして、私が出産して間もなく息耐えました。
 私がマタニティーブルーで子育てに夢中だった頃、母から電話があり、「朝眠るように死んでいたよ。」と言われました。
 
 その時は、余り感情が動かなかったのです。子育てで精一杯でした。

 その後、時々思い出すことがあります。
 ふと、ミミの匂いがしてくる時があるのです。
 それは、餌としてあげていた青菜の匂いだったのかもしれません。
 鳥の体温は高いので、独特の羽の匂いがするのですが、私はその匂いが大好きでした。
 そしてやっぱりミミが大好きでした。
 でも、それ程深い愛情を表現してあげた事があったのかと考えると、疑問です。
 多分、今でも私の事を覚えていてくれていると信じています。私が忘れていないのですから。

 匂いがしているときは、きっと何かを伝えてくれているのかもしれません。
 獣医さんは、通常この鳥はこんなに長く生きないのだよ、と言っていました。
 私の元に来てから19年間は確実に生きていたのです。
 私が1人で泣いていたときも、ジーット見ていてくれました。私はミミに意識は行っていなくても、ミミはいつも私を見ていてくれたのでしょう。今はそんな風に感じています。
 動物に助けられる事で、私は自分が誰かに頼ってもいいのだと学んだのかもしれません。
 人に心を開くよりも、もっと簡単に動物は本心をキャッチしてくれるのでしょう。
 これからも、ミミは側にいてくれている気がします。時々そんな気がします。
            by Yumiko 4th Oct. 2004
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お話44<土地のエネルギー>

 
 自分の住んでいる土地が余り良くないと言われるといい気がしませんよね。
 例えば、霊道が通っているお家というのがあります。
 私が霊能者として見たわけではありません。TVでやっていることもあるし、パートナーが相談を受けることもあるようです。霊道についてはここでは詳しくは書けませんけれど(専門分野ではないので)。
 
 何となく気が乗らない。
 やる気が出ない。
 原因も分かっているようないないような。

 漠然と不安になったり。

 そういう時に体がなかなか思うように動かない。
 それでも私の場合は、無理やりでも外に行くと元気になることが多い。

 これは…家の中のエネルギーが悪いのではないか。
 確かに今住んでいる場所のエネルギーが余り良いとはいえないと言われて、緑を増やしたり色々考慮しているのだけれど。

 先日頂いたお手紙を読んでから、何気なく返信の用意をしていてハッとした。
 送付先の住所を見て、昔行った事のある土地だった。
 HPを始めてから色々な土地の方との交流があるけれども、必ずしも住所を知る訳ではない。
 知ったとしても、常に覚えているわけではないのである。(私は人の名前をなかなか覚えられない人種です)

 その住所を見ていたら、フーっと肩の力が抜けた。
 行った事のあるその土地のエネルギーがワーッと自分の中に湧き上がってくるかのような。
 何でこんなに嬉しいのだろう。
 もちろん、知り合えてお手紙を頂く光栄もさることながら、遠くの方とも縁が出来た喜びなんだろうとも想う。

 近くの方に縁を感じないわけではもちろんございません。

 今回は、落ち込みの感情に突然沸き起こった感覚だったので、とても不思議。
 送ってくださった方の温かいエネルギーのお陰も十二分に感じているのは確かで、ああ、良い土地なんだなあ、とつくづく思った(そう思いたいだけでも、自分が楽になるのだから良いのである)私でした。

 文句を言っていても始まらない。
 しかーし、嫌だ嫌だとは思っている中で、変化も始まっている。
 お隣が空き部屋だったのだけれど、近々工事が始まる。
 すると、しばらくして引越ししてくる方がいるのかもしれない。
 ここへ引っ越してきた時から、お隣はご夫婦で入院をされていると聞いた。
 何が困るって、鳩害であった。
 春から夏にかけて…生まれてくる雛たち。
 うるさいだけではなく、糞害がすさまじかった。ぎゃーぎゃーと音を立て追い払っても、お隣の散乱したベランダが「住めば都」の鳩家族。
 餌も公園に行けば豊富にもらえているであろうし。

 あー動物虐待などする気は更々ないが、朝5時過ぎから「ぽー^v^ぽー^v^と鳴き始め、ベランダや生協の箱は糞だらけ。しかも娘のアレルギーは、君らの糞が乾いて飛んでくるからではないのかーーー!と半狂乱になった時期もあり。花粉症もある娘が辛そうでねー。

 という訳で、お隣の工事が始まると鳩はいなくなるであろう。(たぶん)
 住居者が入るまでネットをはってくれるはず。

 あああ…少しは環境に変化が。
 だから、私も頭を切り替えて、もっと広い心で生活してみようかと(^^)。

 健全な心には、健全な肉体が。そうは言ってもねー生活環境って大切だもんね。

 やる気がないときは、どうしてもダメなら、寝るに限る…あ、じゃなくてフラワーエッセンスならば「ホーンビーム」アニマルエッセンスなら「ヘビ」かな。
 でもトコトン気合が入っていないときは、思考回路も働かないのよ。
 
 鳩が居なくなることで、少しは落ち着いた暮らしが出来ますように(ナームー)。

 決して鳩だけが悪いのではないし、鳩が歩いている姿に、「どーでもいっかー。」と思わせてもらった時もあった事を付け加えておきまする。小鳩のドジな所も実はかわいかった。(ベランダの手すりで良くこけてた。)
 
 結局私が書きたかったのは…HPでの交流がありがたいということでした。
 (何を書いているか分からない?ってか。)皆様の感想に救われる事、いっぱいあるんです。ありがとうございます。

 で、本当に鳩はもう来ないのであろうか…。疑問は残る。
             by Yumiko 22th Sep. 2004
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お話43<武尊神社・ヤマトタケル>

 旅行記のつづきです。

 老神温泉へ着いた日。私は絶対に「武尊神社」へ行きたかった。
 
 ヤマトタケルノミコト由来の神社であるけれど、行ってみるまでは本当に神社なのか観光地の為に作られたものなのかははっきりしなかった。
 天気も雨が降ったりやんだり、どうも怪しい。
 バスで約5時間かかってたどり着いた温泉であるが、まだ2時半。
 パートナーも娘も、部屋でダラダラしている。
 もちろん、だらけに来たのだからいいのだよ。だけど、どうしても私はあの神社に行きたいのよー。
 娘は「いかなーい。」と言っている。
 彼は、「行く〜?明日の朝にしない〜?」
 君達…そうか。
 じゃあ、いい。私は1人で行ってまいります。
 その間に寝てなさい。風呂でも行って来なさい。

 仲居さんに場所を尋ねてみた。
 「すみません。私はこの辺のものではないので…あ、フロントで確認してきましょうか?」
 すると彼が
 「良いです、じゃ自分で聞いてみます。」
 行かないんでしょ?
 
 じゃ、私はフロントに行って聞いてみるから。
 
 何だカンダ話をしているうちに、結局皆で行くことになった。
 どうして皆で行くことにしたのか、すっかり忘れてしまったけれど…。

 旅館のマネージャーさんのような方に聞いてみた。
 「ヤマトタケルの神社ってありますよね?」
 「はあ?」
 「えっと、ブソン神社かな?」
 「ブソン?…ああ、オタケ神社かな?」
 オタケって読むんだ。

 大体の行き方は教えて貰って、どうやら山道を入って行くらしい。
 曲がる道を間違えないように、と念を押された。
 結構坂があるので歩くと2・30分かかるのでは、という。
 彼が旅館脇にレンタルサイクルを発見。お借りする事にして出発した。

 娘は彼の後ろにおっかなびっくり乗っている。なにせ私以外の自転車の後ろに乗ったことがないから。
 結構ほんとうに坂が多くて、こりゃ大変。
 娘だけが無邪気に騒いでいるけれど、う〜体力限界。。。

 田んぼの中に山へ続く道を見つけて、自転車を置いて登り始めた。
 まさかそんなに分かりにくいところにあるとは思いもせず。

 坂道が作られていたので素直に進んで行ったら、なんと墓地だったり。
 彼が焦って挨拶をして降りることに。お墓をむやみに荒らしてはいけないのです。

 こんなわかりづらい所に、神社があるんだねー。
 そんな事を言いながら、最初に不動明王の神社を見つけました。
 この先なのかな?
 不安ながらも、地図でも感覚でもあの辺りだろうと感じ進むと、到着。

 
 飛び込んできたのは御神木二対。
 それは立派な木々でした。

 うっそうとしていて、なにやらただならぬ場所。

 でも、手入れがされていない訳ではないのでしょうが、近寄りがたい感じも受けました。
 彼はドンドン進んで行き、私と娘は恐る恐る後を着いていく感じでした。
 雨が降っていたせいもあるのでしょう。
 空気が全体的に重々しい。
 呼吸が深くなる。
 神聖な場所で、周りの土地との違いは明らか。

 別世界のような、ある意味魔界のような。
 神の居る場所でありながら、何か異様でした。
 人の入る場所ではないかのような…。

 


 
  彼は一つ一つチェックしながら、沢山ある社に挨拶にまわり、祠なども見つけて行きました。
 娘は本気でビビッています。
 暗いし、虫はいるし…。

 ここは、やはり昔から神聖な場所だったのだろうと感じます。
 そうでなければ、下界からわざと見えないように作る必要はないのではないかと…。本当に驚く程、ここに神社があるとは分からない造りなんです。人里はなれたって感じの。

 ちゃんとアマテラスの社もあるし、なんと!!何度かHPに出てきている、「諏訪神社」が関わっていました。分社ですね。
 これはこれは…。




 

 
 ←  ヤマトタケルノミコトを祭っている社です。
   土地的に武尊山もあるので、縁深いのでしょう。

 普段お訪ねする神社とは、一風感じが違いました。
 
 昔、友人と行った奈良の高天原神社に近いかなー。
 下界とは違う感じがね。

 ここで受け取ったのは
 「土地のエネルギーを感じなさい。
 邪気が渦巻いています。」
 でした。

 邪気〜?
 結構良い空気だけど…。
 やっぱりここは魔界なのか?
 なんて1人で考えていつつ、神社を後にしました。

 先ほど往路では気づかなかったのですが、高いところから見ると、一目瞭然でした。
 コンクリート用材を扱う大掛かりな工場が建っていたのです。
 あれは、大した環境汚染かも、と彼に言うと
 「多分、あれだな。」

 綺麗な水が流れ綺麗な空気が確かにここにはあるのです。
 でも、どこもかしこも自然が消えつつあるのでしょうか。

 そして、私達は旅館への帰り道、自転車に乗るや否や集中豪雨に襲われ禊を受けたのでした。
 温泉で良かった…。

        by Yumiko 7th Sep. 2004
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お話42<怒り>

 
龍が夢で話しかけてきた。
 「僕がとても近くにきたから、怒りの感情を刺激する出来事が起こっているんだよ。」
 
 その言葉がすごく残っている。
 
 それで?私はどうすればいいのか…。
 怒りの感情の下にあるのは哀しみの感情。

 今までのパターンで、私はそれ程感情を外に出さない傾向があった。
 だから、人によってはとても感情が安定しているように見えたかもしれないし、大変幸福な環境で育っていると見られていたかもしれない。はあ、まったくとんでもない。
 でも、自分で演じていたのも自分の責任ではある。

 高校生の時には、同級生の友人に
 「上から物を言われているような気がしてならない。」
と言われた。ビックリしてショックを受けた。
 しばらく離れていたが、その後友人が話をしたいと言ってきた。

 私も不快な思いをさせたならごめん。そういうと彼女は泣きながら
 「すごく、羨ましくて腹が立った。何でも出来るように見えてくやしかった。」
 そう言われた。
 それから、たくさん話をして、私も思っていることを素直に話すようにしようと思った。
 私は自分を理解して貰う努力をあまりしようとしないタイプ。面倒くさくなってしまう。

 本当に自分を理解してくれる人を求める事にも疲れていたし(既に高校生の段階で)冷めていた分、かなり大人びていたのかもしれない。見かけは今とあまり変わらないが…(ボコッ!!)
 彼女とは、今でも親友である。
 チョクチョク逢う訳でも連絡を取るわけでもないが、大切な人である。

 私は友達ということを盾にとって、依存したり攻撃したりする人は大変苦手。
 相手がどう感じるかということよりも、自分が吐き出すことだけに夢中な人に対して、私は何も言わない。
 相談があるのだけどと前置きがあるならばまだいい。
 常に人の噂話、自分の毒のはけ口を探して、そこが気に入らないと攻撃する。

 いい加減にして貰えませんか…。

 黙っていても分かってくれる都合の良い人。
 何とかして貰えると思っている人には、あえて自分のエネルギーを使う必要もないのだろうと最近分かった。

 怒りといえば、良いこともある。
 自分を守るためにも必要。
 そして、ある友達があまりに「愚痴」ばかりぼやくので(不思議だけど)腹が立っていた時、仕事中にもペンを握って考えていたら…突然大量のメッセージがやってきた。
 なぜ私が腹が立ったのかと言えば、彼女には愚痴を言うよりも解決させる力があるのに全然気がついていなかったから。
 彼女に向けてのメッセージ。
 それが、私が「メッセージ」を受け取り始めるきっかけでもあった。
 かなりきついような内容でもあった気がしたが、彼女はとても心に響いたと喜んでくれた。私の判断は必要がないのだとも教えられるきっかけだった。
 
 かつて私を支えてくれた友人。
 私からはお願いをすることが出来ないことも分かっていて、深くも聞かずに、逢えばごく普通に接してくれる。
 そのなんとありがたいこと。
 
 自分が思うように相手が動かなくて、どうしてやってくれないの?と思うのはエゴです。
  人を傷つけることなく、助けを求める事は出来ますよ。それが分からないと大変ですね。
  いつも自分を被害者にして、自分を守る手段は攻撃。怒り。
  私はそういう風になりたくないからこそ、今色々な事を体験し、見つめているのでしょう。
  
 少し前にパートナーに言われました。
 『「突き放す」ことも学びだよ。』
  そうだ、それが出来ないと、依存なんだ、きっと。
 それでも、支えてくれている古い友人たち。ありがとう。
            by Yumiko  29th Aug. 2004  
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お話41<竜宮伝説>

 
 竜宮のお話は、多分全国いたるところにあるのではないでしょうか。
 下調べをせず、群馬へ温泉旅行に行ったわけですが…旅の初めから、龍雲がやってきました。
   

 それはそれは、綺麗な雲。ちゃんと顔の形にも見えました。
 (写っていませんが)
 龍って事はへび〜?守ってくれているのかな〜なんて話しながらバスの窓から眺めていました。
 


なんて思っていたら、老神温泉の鎮守赤城神社はヘビが守り神なんだそうで…。
 キャラクターもヘビの「じゃおう」だって。


  もう一箇所、くねくね龍がいたんですけど写真撮れなかったみたいで残念。   (8月23日)








 旅館のフロントでお願いしておけば「吹割の滝」に連れて行ってくれるということで選んだということもありました。もしタクシーだと片道¥1,000くらいという事だったので、それ程遠くはなかったようです。
 
 片品川上流にある滝。
 『竜宮の椀』伝説に彩られる景観地。
 三方から落ちる水のしぶきや光が奏でる虹の風情は、訪れる人の心を癒してくれます…。

 癒されたいわ〜。
着いてみると、お土産屋さんが並ぶ小さな道の下に歩道が出来ていました。
 少し歩けばたどり着けるようなので、安心。ちょっと山道を歩くには娘の準備が出来ていませんし(私もね)。
 
 

 
 降りていったところから眺めると、
少し九州の高千穂峡に似ているな、と感じました。

 あちらも神話と深い関係がありましたが。

 この吹割は竜宮伝説。


 はー久しぶり大自然だよ〜。
 

 











滝つぼというほど深くはなっていないようでした。
 ただ、一年に一人か二人(滝の近くまでいかれるようになっている為に)すべり落ちる人がいるそうです。
 笑えませんよー着替えないし、買うところもなさそうだったよ、この辺。

 娘もビクビク
 「白い線から出ちゃダメー。」
 とパートナーに指示しながら見学していました。

 もう少し近寄ってみると…↓




                     
 
 滝はマイナスイオン全開で気持ちがいいです。
 音も浄化って感じでいいですね。

 ザーザーザーって。

 ここが龍のお椀?
 
 この下へ潜っていくと、龍の住処が…。
 気持ちよさ気ですが、水量が少なかったみたいです。
   (8月24日)



     
  行く途中に、浮島観音堂という神社がありました。
 神聖な場所にはそれなりの神事をする祭りが必ずあるのですねー。

       by Yumiko 26th Aug. 2004           
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